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禁断の領域
〜人食いグマと対峙した身の毛もよだつ恐怖〜
* 地上最大最強の肉食動物 *
 アラスカを中心とする北米の山間部には、広大な原生林地帯が広がっている。この大自然には、グリズリーと呼ばれる凶暴なクマが多数生息していることでも知られているエリアである。グリズリーは、北極グマなどとともに、ヒグマの種に属し、クマの中でも大型で攻撃性の高い危険な種であることが知られている。
 北海道に生息するヒグマもこの種に属し、開拓史上、人間に大いなる脅威を与えて来た。ヒグマは、本州に生息するクマとは根本的に違う。本州に生息するツキノワグマが最大100キロ程度なのに対して、ヒグマは3倍以上の体重のあるのも珍しくなく、ツキノワグマが木の実などを常食とするのに対し肉食である。しかも、性格は極めて獰猛で、その力は驚くほど強大で一撃のもとに牛馬の首すらたたき折ることが出来るのである。まさに地上最大最強の補食動物と言っていいだろう。
 パニック映画では、こうした巨大グマをテーマにした作品も多い。「ワイルド」という映画は、グリズリーの恐怖がよく伝わって来る作品である。一度、人肉の味を覚えると、どこまでも執念深く追って来るグリズリーは、人食いモンスターとしか思えぬ迫力がある。
 それより以前の「グリズリー」という映画では、身の丈6メートル体重1トンという怪物グマが登場する。恐ろしく利口で、何人も人間を食い殺し、最後にはヘリコプターまで破壊するというものすごさである。この巨大グリズリーには、猟銃など何の役にも立たず、危機一髪のところでロケット砲でからくも退治するというストーリーであった。
 ここまで来ると、非現実的でもあるが、こうした映画に登場する巨大グマは、ただの猛獣を越えた超自然的な存在であり、もはや常識を越えた得体の知れぬ化け物と言う感じさえする。お陰で、巨大な人食いグマに夜な夜な追い掛けられるという悪夢にうなされることになった人も多いように思う。
* クマに遭遇した場合の心構え *
 もし、登山中に運悪くヒグマに出会ってしまったらどうすればいいのだろう? 専門のテキストなどには、こうした場合のノウハウが書かれてある。つまり、急激な動作をせずに睨合いを続けるしか方法がないらしい。睨みつけて、5分でも10分でも、クマの方が根負けするまでそれを続けるのである。決して、後ろ姿を見せてはいけないのである。
しかし、もし、クマが向かって来たらどうすればいいのか? 
覚悟を決めて戦えばいいのか?
 その場合は、鼻と口の間をこん棒のようなものでたたくと効果があるという。それは、一番クマが痛がる部位だからである。背中や尻などではびくともしないらしい。トウガラシスプレーは一瞬、クマの攻撃をひるませることは出来るようだが、絶対的な効果はないということである。逆に、クマを怒らせるだけとなる危険性もあるから注意が必要ということだ。クマの嫌う忌避剤はこれまでいろいろと研究されているが、今のところ決定的なものはないのだ。
 では、死んだふりをすればいいのであろうか? しかし現実問題として、巨大グマがフーッという荒い息を吐いて獰猛なうなり声をあげながら地響きを立てて近付いて来るのに、死んだふりをすることなど到底不可能というものであろう。やれるとしたら、相当、強靭な精神力が要求されというものである。
 クマは死んだ人間を食べない。だから死んだ真似をしたら助かるという話や何もしなければ、クマの方からは決して襲って来ないという話にも根拠があるわけでもない。
 実際、墓地で埋葬された遺体を次々と掘り起こし、むさぼり食っている事実を見ても、ヒグマが死体であろうが何であろうが、いかに悪食で貪欲であるかがわかるというものである。
 また、挑発した覚えもないのに、突進して来たケースさえある。
* 執念深いグリズリーの恐怖 *
 グリズリーに襲われて死んだふりをしたハンターの話がある。彼は、グリズリーが突進して来たので、木に登ろうとした。しかし、2メートルほど登った時点で、足をつかまれ木から引き離されてしまった。ハンターは、無我夢中で抵抗し、クマの顔を思いっきり殴ったりしたが、その反撃で下半身をズタズタに嚼み裂かれてしまった。止むを得ず、死んだふりをすると攻撃が治まった。しかし、傷の痛みに堪えきれず、一声うめき声を上げてしまった。たちまち、クマが噛みついて来て脇腹から内臓が露出し、あばらが数本バラバラになった。
 彼は今度こそ、渾身の力で痛みを堪えてピタリとも動かなかった。グリズリーは、その間も、様子をうかがうために何度も引き返して来た。ずいぶん長い間、彼はピクリとも動かずにいたが、ついに呼吸が出来なくなったので、口の中の粘液を吐き出した。頭が少し動いた。同時に地響きを立ててグリズリーが舞い戻って来るのがわかった。ハンターは、この時、すべては終わったと思った。結局、臀部をくわえられて振り回され、背骨が折れるのではないかと思えるほどの深いかみ傷を数カ所つけられたが、幸運なことに、彼はまだ死ななかった。その後、救援隊の来る十数時間、クマは何度も引き返し、彼の様子をうかがったという。
 この話では、グリズリーがいかに執念深いというものかわかるというものである。死んだふりをしても、何度も点検しに舞い戻って来る事実はゾッとするものがある。死を覚悟して長時間、微動だにせずに横たわること自体、大変難儀な行為である。この苦しい姿勢をどのくらい続ければよいのか? 仮に、起き上がって周囲にいなくとも、近くで様子を見ている可能性すらあるのだ。そうだったら、今度こそ一巻の終わりである。
 もし、ハイキングで山道を歩いている時、わずか数メートル先の笹の上に、荒い鼻息とともに、突然、ニューと巨大なクマの顔があらわれたなら、度胸や理性などという心理は、頭の中からふっ飛んでしまい、口の中は苦い胆汁でたちまち一杯になるというものである。
 しかも、仁王立ちしたヒグマが、優に3メートルも越す巨大さだと知った時、恐怖で心臓はパンク寸前になり早鐘のごとく鼓動を打つ。
  足などすくんでしまって、引きつったようになり、もはや自分の感覚で動かすことさえ不可能となる。口の中はカラカラに乾き、アドレナリンは噴出され、恐怖で動転し声にもならない悲鳴を上げながらオタオタ逃げ出すのが関の山である。
 しかし、逃げ出したとたんにヒグマは猛スピードで追って来る。100メートルを8秒足らずで追い掛けて来るのである。そして、ほとんどの場合、一瞬で追い付かれることになる。木に上っても無駄であるケースが多い。カナダの森林でグリズリーと遭遇し、木に登ったカメラマンがいたが、後日、下半身が食いちぎられた無惨な遺体で発見されている。遺品となった彼のカメラには、死に直面した恐怖の証拠が残されていた。恐怖のためほとんどピントは合っていなかったが、下から猛烈な力で木を揺さぶる巨大なグリズリーの写真が何コマか写っていたのである。
 ほとんどの場合、クマに襲われて殺された遺体は、ゾッとするほど惨い状態である。犠牲者の衣服は剥ぎ取られて、ほとんど全裸状態で、十数キロも引きずり回されている。遺体は何か所も嚼まれたり爪でえぐられたりしてひどい状態に成り果てている。遺体を見た人は、一様にヒグマとはこんなに恐ろしいものかとこれまでの概念や常識が根底よりくつがえるのである。中には、あまりのグロテスクさに胸が悪くなり、何度も吐いた挙句、その場にしゃがみ込んで動けなくなる人もいるという。
 アラスカに生息するヒグマは、実に巨大で3メートルを越すのも珍しくなく、立ち上がると3メートル半から4メートル近くにもなる。
 性格も獰猛で恐ろしいほどのバカ力の持ち主でもある。その上、大変、頭がよくずうずうしいと来る。一度、人肉の味を覚えるとどこまでも執念深く追い掛けて来ることもあるそうだ。
 こうなったヒグマは、もはや動物というより恐怖の人食いマシーンに等しい。会ったら最後、瞬時に殺されるからである。
 アラスカには、このヒグマの生息する場所に踏み込む場合、これより先は命の保証は出来ないという看板がいたる所に立てられているほどだ。
 そこには、まさに、我々人間の力など遠く及ばない自然の摂理だけが支配しているのである。こうした事実は、自然の領域に踏み込む時、人間が、いかに無力な存在か思い知らされる瞬間でもある。 長い開拓の歴史には、こうしたヒグマの支配する領域に踏み込んだ人間が体験した恐怖の話が多い。次に紹介する話もその一例である。
* 惨劇のはじまり *
 大正4年(1915年)の冬、北海道、苫前三毛別(とままえさんけべつ)で起きた事件は、ヒグマが人間を襲ったケースとしては、世界最大の惨事となった戦慄すべき事件である。冬眠しそこなった上、傷を負い飢えて凶暴になったヒグマがいかに恐ろしい存在になりうるかを証明する事件でもあった。
 当時、三毛別には川沿いに15戸の開拓部落があった。彼らは、新天地を求めて原生林を開墾して入植して来た人たちであった。
 彼らは貧しい掘っ立て小屋のような住居に住み、炭焼きや農業で寒さと空腹に耐えながら、かろうじて生計を立てていたのである。
 ある明け方、みぞれ模様の身も凍りつくようなその日が惨事の始まりだった。
当時の家屋を再現したもの、壁は草かこいで入り口は蓑が垂らされているだけである。
 各小屋の軒先には、トウモロコシが吊るされていたが、食べる物がなく腹を減らした一頭のヒグマが、そのトウモロコシを狙って小屋に近づいて来たのである。
 馬が鳴きわめき暴れ出したために、ヒグマに気付いた猟師が鉄砲で撃ったところ、弾は急所を外れ、ヒグマは血を滴らせながら森の奥深くに逃げ込んでいった。この瞬間、飢えたヒグマは、復讐心に燃えた恐ろしい手負いのクマとなったのである。そして、3週間後には、恐怖の人食いモンスターと化して、再び、舞い戻って来るが、この時、このことを予想した者は誰もいなかった。
 12月の中旬、再び、例の手負いのクマがあらわれた。時刻は10時半頃であり、食事を作っている最中であった。小屋には子供と主婦の二人しかいなかった。
 ヒグマは、小屋に近付くと周囲の様子をうかがうように仁王立ちした。中にいた主婦は、突如、黒い影がさえぎったので、不審に思い、小さな窓越しに見上げたが、そこに何と巨大なヒグマの顔がにゅーと突き出していたので悲鳴を上げて卒倒してしまった。「きゃー!」「ウオー!」
 ヒグマは、主婦の金切り声を聞くと興奮状態となり、竹で編んだペラペラの粗末な壁をいとも簡単にぶち破って乱入して来た。たちまち恐ろしい地獄絵図が出現した。
 人々が駆け付けて来た時、もはやすべては終わっていたが、その現状から次のような惨状が想像出来た。それは、まさに身の毛もよだつ恐ろしい惨劇であった。床は血の海で、血しぶきは天井まで飛び散っていた。子供は、ヒグマの一撃で右後頭部をなぐられたらしく即死状態であった。あたりにはくだけ散った子供の脳漿が飛び散っていた。そして、血まみれの手形に混じって巨大なクマの足跡がそこら中に残されていた。恐らく、恐怖で狂乱した主婦が、囲炉裏の周囲や奥の部屋までほうほうの体で逃げ回ったのであろうが、ヒグマがそれをどこまでも執拗に追い掛け回した恐怖の痕跡と見られるものであった。
 結局、子供の遺体しかなく、主婦の方は行方不明であった。しかし、雪の上に何かを引きずった跡が残されているのが発見された。恐らく、瀕死の状態になった主婦を、力まかせにヒグマが引きずり森の中に運んでいったのであろうと推測された。翌日早朝になって、捜索隊が森のはずれで変わり果てた主婦の遺体を発見した。遺体は、両端を除いて、ほとんどが食われてしまっていた。雪原の上には血だらけになった半分ほどの頭部とひざから下だけの両足だけがころがっているだけだった。ヒグマは、実に一晩中、主婦の遺体をむさぼり食っていたのである。
* 血も凍る一夜 *
 しかし、この身の毛もよだつ話はこれで終わりではなかった。翌日、この巨大グマは死んだ母子の通夜の最中にも家屋に押し入って来るからである。それは午後8時半頃に起こった。通夜には、親戚の人間など十数名が集まっていた。酒が飲み交わされ、どうしようもない陰鬱な雰囲気を和らげようとしていた矢先であった。
「メリメリ・・・バキバキ!」突如、物が壊される凄まじい音とともに、恐ろしい唸り声を上げて、壁を突き破り巨大なヒグマの頭部が突き出したのだ。
 その衝撃で棺桶がひっくり返り、遺骸がバラバラと空中に飛散した。ランプは消えて周囲は真っ暗となった。
 怒ったヒグマが、自らの獲物、すなわち遺体を奪い返しに来たのである。「うわー!人食いグマだ!」異常とも思えるヒグマの執念に人々の心は恐怖で凍り付き、悲鳴を上げて逃げまどった。
 その時、暗闇の中で銃を発砲した者がいた。ヒグマは遺体をあきらめたのか森に逃走していった。こうして、一時は、どうなるかと思ったが、人々は奇跡的に難を逃れたのであった。
 ところが、ヒグマは森に逃げたのではなかった。新しい人肉を求めて900メートルほど下流にある民家に向かったのである。
 その民家は、殺害現場からも離れ、比較的安全と思われていたので、女性や子供の非難場所になっていた。中には、お腹の大きくなった妊婦を含め女性や子供9人が寄り合っていたのである。
 そして20分後、今度はその民家がヒグマに狙われたのであった。恐怖で絶叫する悲鳴が暗闇に響き渡った。
 こうして、妊婦の中にいた赤ん坊まで含めると、さらに5人が犠牲となった。しかし、この中には、恐怖のあまり失神して、それが幸いしたのか、クマに気づかれずに奇跡的に一命を取り留めた幸運な子供もいた。
 その頃、すでに民家の回りには、銃を持った男たちが取り囲んでいた。真っ暗な中からは、骨を嚼み砕き肉を引きちぎるゾッとする音が響いていた。グシャグシャという人肉を咀嚼するこの世のものとは思えない音が周囲にこだました。人々の中には、耳を被って後ずさりする者もいた。誰も彼もこの場から逃げ出したい思いで一杯だった。
 男たちは、ヒグマをおびき出して仕留めようと、空に向けて銃を撃つことにした。すると、予想通りクマが唸り声を上げて飛び出して来た。
 そこを銃手が、狙い撃ちする手はずだったが、どうしたことか、銃は揃いも揃ってどれもこれも不発に終わってしまったのであった。
 この頃の銃は、鉛玉を込めて火薬でつき固めるタイプだったので、湿るとよく不発を起こすことが多かったという。ヒグマはこうした人々のうろたえぶりを嘲笑するかのごとく平然と夜の闇に姿を消してしまった。
 こうして、ニ度三度とクマに裏を掻かれ、火をどんどん焚こうが、それをものともせずに襲って来る人食いグマの襲撃に、人々は身の毛のよだつ恐怖を感じた。そして、一刻も早く現場から逃れたいとばかり、雪道を下り下流へ下流へと非難していった。ヒグマはますます大胆不敵になり、誰もいなくなった空家に侵入しては、あらゆるものを壊して食料を食い漁った。放置されていた女の遺体は、舞い戻ったクマに食われ、骨のむき出したぼろ布のように成り果てていた。女の肉を食い尽くしたクマは、その味を忘れられないと見え、女の枕、湯たんぽなど女の臭いのする物に無数のかみ傷を残し異常な興奮の跡を残していた。
* 人食いグマを追って *
 その後、暗闇で狙撃する機会があったが、かすり傷を負わせただけで、クマは山中に逃げ込んでしまった。
 そこで、人々は腕の立つ銃手ばかりの討伐隊を組織して、足跡と血痕を手がかりにひつこく追跡を開始した。
 時たま、発見されるクマの糞には恐怖の証拠が歴然と残されていた。未消化の人肉と思われる排泄物の中には、人の髪の毛や衣服の一部らしきものなどが混ざっていたのである。
 こうして、アイヌ犬を先導して追跡すること数時間、ようやく山頂付近に潜む人食いグマを発見したのである。周囲を取り囲む中、熊撃ちとして知られる鉄砲撃ちの名人が、風下から密かに忍び寄り狙撃することにした。
 鉄砲撃ちは、息を飲んで20メートルという至近距離まで接近し狙撃した。
 こうしてようやく人食いグマは任とめられたのである。弾は、見事に、ヒグマの心臓と眉間を撃ち抜いていた。事件発生から8日後のことである。
 任とめられたヒグマは7、8才の雄で、体長2、7メートル、体重380キロもある巨大グマであったそうである。恐らく、仁王立ちになると、身の毛もよだつ恐ろしい怪物に映ったことであろう。
 その後、この忌わしい事件が起こった土地を見捨てる人も多く、やがて、人々はこの土地から姿を消していった。過去の残虐な記憶から逃れたいと思う人々の胸の内は同じだったのである。現在、事件現場付近に住む者はなく、事件を復元したという小屋があるだけである。その横には、事件の真相を説明する看板が立てられているということだ。
* 自然のバランスが狂った時 *
 この恐ろしい事件は、ヒグマの獰猛さ、執念深さ、貪欲さをあますところなく伝えることになった。しかし、これまでの研究の結果、ヒグマが人間と遭遇しても、わけもなく一方的に襲いかかって来ることはないということが証明されている。確かに、ヒグマによる死亡事故はめったに起こることがない。しかし、事故に悲惨なイメージがつきまとうためか、ヒグマを必要以上に恐ろしい存在と見なす傾向があるのは否定出来ない。
 実際のところ、人間が本気になって駆除に乗り出せば、ヒグマと言えども、絶滅から逃れることは出来ないのである。しかし、こうした理由だけで、特定の動物を絶滅に追い込むことは、生態系を歪めることになりかねない。ヒグマも自然の一部に他ならないからだ。
 最近は、川や湖などで、カミツキガメやワニ、ガーと呼ばれる獰猛な肉食魚が捕獲されることが多い。都会でもタランチュラやサソリ、ニシキヘビすら見つかることもある。これらは、もともと、日本には生息している生き物ではない。すべてがペットとして購入され、成長するにつれて、持ち主が処分に困り、川や湖に放流したり捨てたりした結果なのである。

 こうした人間の自分本位な行為は、自然界全体にも影響をおよぼしている。無計画な産業の発展はオゾン層を破壊し生態系を狂わしつつある。地球規模での温暖化は、エルニーニョ現象(海面温度の異常上昇)や海流の変化などを引き起こす原因となっている。日本近海でも、決して見られることのなかった種類の生き物が姿を見せるようになった。過去に瀬戸内海で潜水夫が巨大なホオジロザメの襲撃で命を落とした事件があったがこれなど顕著な例であろう。
人間の身勝手さゆえに、自然のバランスが崩れ去った時、神が人間に下す鉄槌こそが最大の恐怖なのかもしれない・・・
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