ソニー・ビーンの人食い一家
〜数百人の旅人を襲って食らった恐怖の食人一家の伝説〜
 今から500年ほど前のイギリス。ここスコットランドの南西部にあるエアシャイアという街で身の毛もよだつ恐ろしい事件が起きた。その恐ろしい事件とは、ビーンという大家族が殺人鬼の集団と化し、長い年月の間に数百人の旅人を襲ってことごとく食べてしまったというのである。
 到底、信じられない話だが、当時は現代とは違って、まやかしや迷信がはびこる中世の時代でもあった。まして人権や人間の尊厳なども考慮されず、無知蒙昧も重なって、この事件がさらに猟奇的なものになってしまったということは十分考えられる。
* 駆け込んで来た男 *
 事件はある日の夜、一人の男がグラスゴーの役所に血走った眼で転がり込んで来たことから発覚した。その男の服はズタズタに破れ、全身血だらけで、息せききってしゃべり出すのだが全く要領をえない。「助けてくれ」「妻が殺される」男はうわごとのようにその言葉ばかりをくり返した。
 出されたブランディを2、3杯あおるように飲み干した後、男は少しは落ち着いたようであったが、それでもしゃべり出すと興奮状態になった。人食い、化け物の群れ、恐ろしい・・・男の口からそうした言葉が次々と飛び出す。最初、男の供述を書き留めていた役人たちは、やがて恐怖の真実が明らかにされるにつれて驚愕すべき表情になった。
 男の話をとりまとめるとこうである。その日の夕刻、夫婦は馬に乗って山道をゆっくり家路に向かっていた。ところが、前方に異様な恰好をした人物があらわれた。僧侶の服装をしているが僧侶ではない。男性用のマントをはおり、注意してみると女性用の下着が襟元からはみ出ている。なんとも気味の悪い殺気めいたものが漂って来た。馬は恐れをなして鳴きわめき立ち往生してしまった。
「どう!どう!」馬をなだめようとしたが無駄であった。妻は怖がってすっかりうろたえている。
 そのとき、左右の薮から奇声をあげて何人かバラバラと飛び出して来た。
「ヒヒィーン!」馬は後ろ足でけり上げてパニック状態だ。そいつらは手に手にこん棒のようなものを握りしめてたたきつけて来た。
「きゃーっ!」妻が馬から引きずりおろされて地面に落ちた。
「あなた! たすけて!」妻の叫ぶ声がする。男は自分になぐりかかって来る連中から身を守ることで精一杯である。鞭をあたりかまわず狂ったように打ち続けた。
「ベリッ!」男の服がむしり取られる。そのとき男は見た。地面に倒れ込んだ妻にまるでアリが群がっていくかのように化け物どもが覆い被さっていくのを。
「ボキッ!バキッ!」こん棒が振り下ろされ、妻がめった打ちにされて殺されるのを見た男は、火事場の馬鹿力で一人を振り払うと、そのまま全速で駆け出した。途中、何人か待ち伏せて飛び出して来たようだが、無我夢中でなんとか逃げおおせることが出来た・・・というのである。
 目撃した男によれば、襲撃してきた連中は到底、この世のものとは思えず、化け物か悪魔としか表現できないということであった。しかし現場に到着したのは夜が明けてからであった。現場には何も残されてはいなかった。男は恐怖に怯えながら、ここで奴らが襲って来た。ここで妻が殺された。とジェスチャーを交えて早口に説明する。そして思い出すと自分を制御できないのか、大声で泣き叫んだりをくり返すのであった。
* 恐怖の洞窟 *
 この事件はただちにスコットランド国王ジェームズ6世にも報告された。この近辺では二十年以上にわたって頻繁に旅人の失踪が報告されている場所でもあったからである。今回の事件とこれまでの失踪事件となんらかの関係があると見た国王は、自ら400人の兵を率いて捜索に出発した。
 捜索は広範囲におよんだ。しかし山道付近も森の中もとりわけ異常は見られない。ところが海岸沿いにまでやって来たとき、潮風にまじって心なしか腐敗臭のような悪臭が感じられた。それがどこから漂って来るのかはわからない。そのまま進んで行くと、ある場所で犬が急に狂ったように吠え始めた。
 そこは奇妙な形をした岩が入り組んだ海岸で、鉛色をした波が単調に打ちつけている場所でもあった。
 犬が吠えている一角には大きなくぼんだ岩がある。一見、どういうわけでもなくただの海岸だったが、よく見ると、そのくぼんだ岩は洞窟の入り口であることがわかった。
 洞窟は深くえぐれており、内部に相当な空間があるようである。腐敗臭はそこから漏れて来るのであろう。この洞窟の入口は、潮が満ちて来ると、海面下に隠れてしまうので人間の目にはわからなかったのである。
 洞窟内の捜索が開始された。兵士たちは松明の明かりだけを頼りに進んで行く。悪臭は一段と強くなり、腐臭と海藻の臭いがごっちゃになったような気味の悪い臭いに変わった。洞窟は実に奥行きが1.6キロもある巨大なものであった。曲がりくねった横道は無数にあり奥は真っ暗で何があるのかもわからない。あまりの気味の悪さに勇敢な兵士でも内心びくびくしながら歩いていた。どの兵士も恐怖と緊張で言葉すら出ない。ただメラメラパチパチという松明のはぜる音だけが不気味に洞窟内に反響する。
 まもなく真っ暗な洞窟内から、身の毛もよだつ恐怖の証拠がそこら中から見つかった。腐った人肉らしき肉片、人骨、黒ずんだ岩の根元には、犠牲者の生前の持ち物だったと思われるおびただしい衣服類、帽子やマント、靴と言ったものが朽ち果てたまま山積みにされている。これらは戦慄すべき犯行が長年にわたってくり返し行われていた歴然たる証拠であった。
 黒ずんだ横道に白く光るものがあると思えば、打ち捨てられて累々と積み重なった犠牲者の白骨の山であった。臓器や同じ箇所の肉片がきれいに分類され塩漬けにされた樽が何樽も発見された。またある横道には臓器を取られ首のない肉のかたまりがフックのようなもので何十体もぶら下げられていた。おぞましい光景に屈強な兵士でさえ、何人もが口を押さえて、ある者はしたたか吐いた。
 その中には数日前に襲われたと思える妻らしき遺体もあった。茶褐色に変色してしまっている他の遺体に比べると、生々しく真っ白で内蔵は取り除かれ首を切り落とされて、まるでトルソーのような状態で吊り下げられていた。
木製の台の上には解体に使ったナタや包丁の類が血みどろの状態で置かれている。松明の明かりでそれらはゆらゆらとオレンジ色に反射し、壮絶な光景を現出していた。
まるで生前悪行をなした亡者が地獄の鬼どもにいじめ抜かれ、体をバラバラにされた現場のように見えた。
鎌倉時代に描かれた地獄絵。生前、悪行をなした人間が地獄でその罰を受けるという倫理観を人々にうえつけた。
 ビーンズ一家はとりわけ広い洞窟の奥の一カ所に集まっていた。松明を向けると、顔を隠すように蠢いているが、とても人間のようには思えない。中には恐ろしいうめき声で威嚇してくる者もいたが、おおかたは大人しかった。しかしこれが集団で行動する際にはおぞましい殺人鬼と化すのであろうか。かくして一族は全員が捕縛された。
 やがて陽の光の元に引き出された彼らは、もっとおどろおどろしい存在に見えた。髪は伸び放題、男女ともとんちんかんな服を身につけ、その姿は異様としか表現のしようがない。農民のズボンをはき、ズタズタに破れた貴族風衣装を着込んでいるかと思えば、その上から婦人用のコルセットをつけているのもいる。衣装はどれも色あせてボロボロになっており、そのことがよりいっそう醜怪さを感じさせた。これらの衣装も元はと言えば犠牲者から奪い取ったものなのだ。
* 身の毛のよだつ真相 *
 その後、調べて行くにつれて事件の真相はさらに恐ろしい真実となって明るみに出て来た。人食い一族はビーンという名の夫婦が生んだ子供たちの成れの果てであった。この人食い一家は今まで誰にも知られることもなく、殺人と人食いという呪わしい行為を延々と続けてきたのである。人食い一家がどのように形成されていったのか、その過程をたどってみたい。
 人食い一家の主、ソニー・ビーンはスコットランドの南東部にある田舎町で16世紀に生まれたらしい。ビーンも若い頃は家の事情もありそれなりに働いたようだったが、もともと怠惰で粗暴な性格であったので、すぐ働くのを嫌って家を飛び出してしまった。
 そして放浪を続けたビーンは、まもなく性悪な女と知り合うのである。二人はどちらも働くことが大嫌いであった。各地を転々とした後、ギャロウェイ(イギリス西北部にあるノース海峡に面した半島)まで流されて来た。この海岸には岩山がいくつも露出しており洞窟が無数にあって不気味な入り口をポッカリ開けている。ビーンたちはそのうちの一つを住居として選びそこで暮らすことになる。最初は居心地のよい快適なねぐらであった。
 しかし生きていくには、それなりに食料や衣類など生活必需品が必要だ。二人は考えた末、手っ取り早く日々の生活の糧を得るためには、通り掛かった旅人を襲って殺し、現金や持ち物を奪う方が効率的だと考えた。最初は、奪った現金で食料などを買ったりしていたが、やがて二人は殺した人間の肉に手をつけ始めたのであった。
 ビーンと妻は怠け者であったにもかかわらず、性欲に関しては旺盛であった。
 たちまち男8人、女6人の14人も子供をつくることになる。さらにその子供たちは、近親相姦を繰り返し男18人、女14人を生んでいく。
 まさにネズミ算式に増えていくのだが、たちまち50人ほどの大家族を形成することになった。
 子供たちは教育は全く受けず、したがって言語能力などあろうはずもなく、感情のおもむくまま、欲望のままに毎日を生きるだけであった。ただ、見よう見まねで、殺人を犯して遺体を解体し、食糧に加工する方法だけは習熟した。こうして恐るべき殺人集団が形成されて行く。
 彼らの主食はもっぱら人肉であった。保存食料とするため、人肉はさまざに加工される。塩漬けにされ、樽に詰められる。また薄く切って干物にもされた。火にあぶって薫製にもされる。こうして加工された人肉は、長期間の保存食料として貯蔵された。
 獲物(この場合は旅人)の襲い方も手慣れたものであった。襲った獲物は取り逃がしてはならない。逃がすと犯行のみならず自分たちの存在までばれてしまうからだ。
 犯行は完璧でビーン一族に襲われて生還した者は一人もなく、人間の失踪事件が多発する事が知られる様になっても、誰にも真相をつかめなかったのである。
 かくして25年もの間、彼らの存在は世間に知られる事はなかった。
ソニー・ビーンを描いた映画のワンシーン(右)
 襲う際の決まり事もあったらしい。まず襲う相手の人数は必ず5人以下とすること。一人の相手に3人でかかる。襲撃する場合は、相手がどの方向に逃げても大丈夫なように、あらかじめ仲間を待ち伏せさせておく。その他、馬車を止める者、引きずり出す者、ナタやこん棒で止めを刺す者など細かく分担が決められていたという。
 こうして彼らに襲われ、殺され、食べられた犠牲者の数は300人を下らないだろうと言われている。しかし25年間もこれだけの大所帯が食べて行くには、それでは足りず千人以上の人間が必要だったという考え方もある。それが事実だとすれば実に恐ろしいことである。
 かくしてビーン一族は、25年間に渡って犯行を続けたが、夫の方を取り逃がしたために、彼らの悪事は一挙に明るみに出ることになった。当時の記録によると、裁判は行われなかったらしい。それどころか人々から、邪悪なものとされ、憎悪された結果、全員が即刻、処刑されることになった。それも復讐を込めて考えうるもっとも残酷な処刑の仕方であった。
 男は生きたまま両腕両脚をナタで切断されて失血死するまで放置された。女はその一部始終を見せられた後、とろ火でゆっくり死ぬまであぶられたのである。あまりの苦痛に恐ろしい叫び声が処刑場こだました。ビーン一家には幼児や赤ん坊も含まれていたのだが、全員が例外なく処刑された。
 そして死の瞬間まで、彼らはなぜ自分たちがこういう酷い目に合わないといけないのか理解できぬといった表情で死んで行ったのである。倫理観も道徳観もなく、物心ついたときから殺人をごくあたりまえのように仕込まれて来たのだから当然と言えば当然であったろう。
 ビーン一族に関する話はロンドンのニューゲート監獄の犯罪カタログに掲載されただけで資料は少なく、これ以前の詳しい資料も存在しないので、ビーン一家の存在自体を疑問視する歴史家も多い。実際のところ、真相は歴史の闇に埋もれてしまっており永久に解明されないと思われる。
 現在、彼らが食人をして暮らしていたという問題の洞窟はエアシャイアの街の観光事業にも一役買っており、怖いもの見たさの観光客でにぎわっているそうである。観光客はその薄暗い空間に入って、500年もの昔、凄惨な猟奇殺人がここでくりかえし行われ、気味の悪いカニバリズムの舞台になったことを想像して満足するのだが、これもおぞましい人間のもう一つの性なのであろう。
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参考文献・資料サイト
http://ahouroushi.kimodameshi.com/killer5.html  (大量殺人犯の事件史)
http://www.amakanata.com/2012/12/blog-post_2.html(アマカナタ)
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/kaiki/92sonybeen.htm(ラウンジピュア)
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